京都には、「力餅食堂」「千成餅食堂」「相生餅食堂」など、餅やうどん、丼物を出す昔ながらの大衆食堂がある。
いわゆる「餅系食堂(もちけいしょくどう)」と呼ばれる存在で、他の地域では見かけないらしい。
——私はつい最近まで、そのことをほとんど意識せずに生きてきた。
ここ1〜2か月、仕事関係で少しドタバタしていた。
平日は余裕がなく、休日も気が休まらない。
そんな日々がようやく一段落した、ある日。
特に予定も入れず、「今日は何もしない。ダラダラする」と決めた。
そのとき、古本屋さんで手に取ったのが、『京都食堂探究』(加藤政洋著)だった。
正直に言うと、最初から強い目的があったわけではない。
少し前に読んだ『本を読む人はうまくいく』に、「万遍なく、いろんなジャンルの本を読むといい」と書いてあったのを思い出しただけだ。
外れても、それはそれで経験。
古本屋で500円だったし、まあいいか、くらいの気持ちだった。
もう一つ、背中を押したのは裏表紙の言葉だ。
「京都の食堂は歴史の中で、麺類・丼物を中心にして独自の発展を遂げてきた。」
「うどんも丼物もある京都食堂の魅力とは?」
この二文を読んで、ふと思った。
子どもの頃からずっと「きつね・たぬきって結局なんなん?」と思いながら生きてきた。
話のネタにもなりそうやし、どんな世界なんやろう、という好奇心もあった。
そんな軽い動機で読み始めたこの本。
失礼ながら、第一印象はこうだった。
( ゚д゚) ……地味そう。
ランキング本でもないし、映えるグルメ写真が並んでいるわけでもない。
派手なストーリー展開がある気もしない。
ところが、知らないことだらけ。
しかも、丁寧に調べてあって、めちゃくちゃ面白い。
この本、どうやらただの「食堂紹介」ではないらしい。
■きつね・たぬき問題、想像以上に深刻でした
この本を読んで、一番「えっ?」となったのが、麺類の話だった。
きつね、たぬき。
子どもの頃から当たり前のように食べてきた。
京都(というか私の幼少期)では、きつねうどんといえば、きざんだ油揚げ(いわゆる「きざみ」)が入ったうどん(麺をそばにしたかったら、きつねそば)だった。
それ以外の答えを、考えたこともなかった。
ところが、この「当たり前」、地域が変わると通用しない。
それどころか、誤解を生んだり、場合によっては言い争いにもなる(笑)
大阪では「甘く煮た油揚げがのったうどん」がきつね。
東京では「油揚げが入っていれば、うどん・そば」がきつね。
(;゚Д゚) ……あれ、言われてみれば、大阪ではきつねそばって言わない。
しかも、子どものころ慣れ親しんだ、あっさりしたきざみの油揚げじゃない。
甘い味がしゅんだ(染み込んだ)油揚げが多い。
たぬきに至っては、さらに混乱する。
京都では、きざんだ油揚げのあんかけのうどん・そば。
大阪では油揚げのそば。
東京では天かす(天ぷらのタネ抜き=たぬき)の入った、うどん・そば。
ヽ(`Д´)ノ ワケわからん!……全然違うやん。誰か統一して!
私は小さい頃から「きつねそば」が好きだった。
でも大阪で「きつねそば」を頼んだら、それは怒られるやつだったのか……?
幸いにも、大阪ではうどんが美味しかったので、きつねうどんばかり頼んでいた。
結果オーライ。たぶん。
この本を読んで、「自分の常識は、思っている以上にローカルなんだ」と自覚した。
そしてそれが、妙に面白かった。
■しっぽく・南蛮(なんば)・木の葉丼・衣笠丼──全部に理由があった
きつね・たぬき問題で頭をやられたあと、さらに追い打ちをかけてきたのが、しっぽく、南蛮、木の葉丼、衣笠丼といった料理たちだった。
まず驚いたのが、「しっぽく」について。
長崎の卓袱(しっぽく)料理が京都に入り、独自の広がりを見せたという話は、正直まったく知らなかった。
それだけでも「へぇ〜」なのに、驚きはそこからだった。
しかも、しっぽくや鍋焼きうどんの具材を調べ、何が入っているか、かまぼこは何枚かまで表にしている。
( ゚д゚) ……そこまでやるか。
最初は少し笑ってしまったが、「自分が同じことをやったら時間とお金がどれだけかかるか」を想像すると、考えが変わる。
何十時間、何百時間とかけて調査し、まとめられた知見が、たった一冊の本として目の前にある。
『本を読む人はうまくいく』で書かれていた「本のコスパが非常に良い」という言葉の意味が、ここでようやく腑に落ちた。
小さい頃の記憶も、一緒に蘇ってきた。
私はきつねそばばかり食べていたが、母はいつもしっぽく(具だくさんの、いわゆる「かやくうどん」)を頼んでいたことを思い出した…。
ヽ(`Д´)ノ お母さんズルい!ちゃんと説明して欲しかった!
南蛮(なんば)の話も面白い。
南蛮とは、異風なものを加えるという意味があり、鴨南蛮の「南蛮」は、具材として当時は異風なものとしてネギを指していたのが始まりらしい。
そして大阪では「なんばん」と読むのではなく、「なんば」と読むらしい。
なぜか――
由来は、大阪の難波(なんば)。かつてネギ(なんばネギ)の産地だったという。
木の葉丼、衣笠丼、黄そば(キソバ)。
子どもの頃、何の疑問も持たずに食べていたものたち。
名前も味も、ただ「そういうもの」として受け取っていた。
でもそれらには、すべて意味があり、背景があり、地域性があった。
自分が知らなかっただけで、世界はこんなに丁寧にできていたんだなと思った。
この年になって、である。
■「知らなかった」より、気づいてこなかったこと
この本を読んで強く感じたのは、「知らなかった」という事実そのものよりも、疑問を持たずに通り過ぎてきた自分のことだった。
「なんで木の葉丼って言うんだろう?」
「丼物の『とじる』とは、溶き卵で一緒に煮る?それとも上にのせる?」
身近なところに、いくらでも「なぜ?」は転がっていた。
でも私は、気にせず・立ち止まらずにスルーしてきた。
気づく人は、気づく。
調べる人は、調べる。
そして、そういう人たちが文化を言葉にし、残してくれている。
本のあとがきには、長年続いてきた餅系食堂が、少しずつ閉店していっているという話も出てくる。
流行や効率の波の中で、静かに消えていくものがある。
それを寂しいと感じたのは、この本を読んで初めて、それらが「当たり前ではなかった」と知ったからだと思う。
これからは、もう少しだけ「なぜ?」を大事にして生きてみよう。
■観光もいいけど、ローカルな一杯も悪くない
京都には、分かりやすい観光地がたくさんある。
有名なお寺、映える街並み、話題のスイーツ。
それらを楽しむのも、もちろん素敵だと思う。
でも、もし余裕があれば、地元の人が通う食堂にも、ぜひ足を運んでみてほしい。
看板は地味で、メニューもシンプル。
初めて入るには、少し勇気がいるかもしれない。
それでも一度入ってみると「観光」では味わえない京都がある。
こういう場所を探すのも、京都の楽しみ方の一つだと思っている。
観光で来られた方が、ローカルな食堂で一杯食べる。
それが、ほんの少しでも地域の支えになるなら、こんなにいい循環はない。
■次の一杯を、ちゃんと味わう
次にうどんやそばを食べるとき、しっぽくにしよう!少し眺めてみよう。
凡人の自分にできるのは、せいぜいこのくらいだ。
今までなら、何も考えずに食べていた一杯。
でも、背景を知った今なら、同じ味でも、感じ方はきっと変わる。
そして、効率よく、スマートに、映える人生だけが、良い人生じゃない。
京都の食堂みたいに、地味にコツコツと根付く、そんな生き方でええやん。
そんなことを、静かに教えてもらった気がした。
■最後に感謝を
当たり前だと思っていた食べ物。
何の疑いもなく使っていた言葉。
そこに、これほどの歴史と理由があったことを、私はこの本を読むまで知らなかった。
研究し、記録し、まとめてくれた人たちに感謝したい。
そして、長い時間、当たり前を当たり前として
続けてきた食堂の人たちにも。
次に、きつねうどんを食べるとき、きざんでないなぁ…と思ってみたり。
次に、しっぽくを見かけたとき、母親を恨んでみたり(笑)。
きっと私は、前より少しだけ、ゆっくりと色々味わって食べると思う。
ここまで読んでくださったあなたにも、心からの感謝を。
今日の一杯が、昨日より、ほんの少しだけ豊かに感じられますように。
今回はここまで。
最後に、大力餅(わら天神さんの隣)でいただいた、おはぎの画像を…。

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